私が入ったのは、千葉にある大手企業の工場。日総工産の契約社員として働きだしました。
ここでは一人部屋の寮が用意されていました。寮とは言っても、普通のアパートを借りている形だったため、普通の一人暮らしと何ら変わりません。テレビや冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの家電製品も揃っており、新たなスタートを開始するのに何ら不満はない環境です。
仲間が最高!!
工場では物流として働きましたが、同じ物流仲間の男性4人が、同じアパートだったというのが良い環境でした。部屋も階もバラバラですが、休日にゲームをしたりお酒を飲んだり、とても楽しい時間を共有できましたので。
また、ほぼ毎朝一緒に工場まで自転車で通っていました。帰りも出来るだけ一緒に帰りましたが、ここまで仲良くなれるとは正直思っていなかったです。
が、皆同じように一人で千葉に来て、同じようにスタートを切った仲間。仕事上の辛い経験も同じように味わっており、そのたびに助け合ってきました。仲良くなるのは自然なことだったのかも知れません。
とにかく、あの仲間がいなかったら、私はこの工場での仕事を乗り越えられなかったし、楽しい思い出にもならなかったでしょう。最高の奴らでしたよ!!
仕事はきつかった・・
どこまで言って良いのか分かりませんが、千葉の工場での仕事はきつかったです。
どのくらいきつかったのかというと、これまで味わってきた中で断トツに一番キツイ!!と、口を揃えて全員が言うくらいキツかったです。
残業はもちろん多かったですが、本来揃えるべき人員が全く足りていない状況で仕事をしなければいけなかったので、作業量がハンパなく厳しかったです。最終的には物流は12人くらいまで増えたのですが、私たちが入った当初は5人で回していたんですよ。
正直言って、言葉に出来ないくらいきつかったです。マジで。
限界も何回も超えました。ストレスで倒れるんじゃないかと思いました。実は皆でボイコットもしちゃいました(1回だけね・・)。
新しい人が入ってきても、あまりのキツさに夜逃げするという始末。人は入ってくるのに、全然増えない・・。これは現実なのか??と思えるくらい非常識なことが普通にあるところでした。
こんな事態になった原因として日総工産の見積りが甘かったことは事実ですが、想定を大きく超えて回らなかったようですね。別の日総の現場ではこんなことは一切ありませんので、ここだけ特別だったようです。本当に、途中までは何もかもが上手く回っていなかったという感じでしたね。
日総工産の社員さんは、良い人と厳しい人とに分かれますが、私たちの物流を引っ張ってくれた社員は良い人でしたよ!同い年ということもあり、仕事後に飲みに行ったり、焼肉を食べたり、ビリヤードしたりと、色々な事を一緒に楽しみました。仕事上でもプライベートでも仲間でしたね。
思いきり成長できた時期
半端なく厳しい仕事をこなしていく中、ある変化が私の中で芽生え始めました。
これまでの私は、仕事をかなり舐めていた部分がありました。
「自分が出来なくても、誰かがやってくれるだろう。俺には関係ないし、責任もない」
こんな風に思っていましたし、これが普通だと勘違いしていたのです。
おかげで、初めのうちは仲間からバカにされることもありました。何せ、仕事が出来ない上に責任感もない。しかも、何かに怯えているかのように、弱気な態度だったからです。泣き言も多かったです。
仕事が日に日にきつくなっていく中、逃げる事しか頭にありませんでした。でも、意を決して千葉に来たのですから、逃げる訳にもいかない。いや、ここで逃げたら何も変わらない。
「頑張ったら、何かがあるのかも知れない」
そんな期待を胸に、毎日ちょっとずつ頑張っていったのです。すると、ある日を境に心境がガラリと変わりました。俗にいう「腹が決まった」という状態になったのです。きっかけは仲間にバカにされたことだったのですが、そこで何かスイッチが入り、仕事に真っ向から取り組む覚悟が決まったのです。
その日を境に、きつかった気持ちは徐々に消え失せ、代わりに「仕事が楽しい」という気持ちへと変わっていきました。
どんな仕事でも笑顔で臨めるようになり、どんな状況でも諦めず、そして常に頭をフル回転させて最善の仕事をするようになっていったのです。
何かが憑依したかのような変わり方でしたので、周りも私の変化にビックリしていました。当の自分もビックリするくらいの変化でしたので、当然かも知れません。
まるで私の中にあった汚くてドロドロしたガス状のモノが、きつい仕事をしていく中で出尽くしてしまったような感覚。その時に、本当に急に変わることが出来たのです。
そして、次第に周りから認められるようになり、頼られるようになりました。ある一つの大きな仕事も一人で任されるようになり、「彼がいるなら大丈夫だ」とまで言われるようになりました。この言葉は、自信をなくしていた私には純粋に嬉しかったです。
仲間たちからもバカにされることは一切なくなり、逆に「兄貴」「兄さん」と呼ばれるほどの変化が生まれました。短時間でここまで成長した奴は見たことないとも言われました。
嬉しかったです。正直言って、メチャクチャ嬉しかったです。
恐怖症もすっかりどこかに行ってしまったようです。覚悟を決めた時から、顔を出さなくなりました。
仕事って、人を成長させてくれるものなんだな・・ということを、私は工場で強烈に実感することができたのです。
そして新たな道へ
結局、その工場は1年で辞めましたが、きつくて逃げたのではありません。この頃には随分と人が増えたので定時に帰れるようになっていました。格好つけて言うと、「俺たちの仕事は終わったかな・・」という感じになってしまったのですね~(笑)
それに、頑張った結果、新たな道も見えてきましたので、1年で辞めることにしました。残業のおかげでお金も溜まりましたし♪
辞める時はとても晴れやかな気分でしたよ。
仕事開始当初、きつすぎて何度も逃げ出したいと思っていたのに、とんでもない所に入ってきちゃったもんだな・・と仲間と話していたのに、ボイコットまでしていたのに、まさかこれほどの充実感と達成感を味わえるとは思っていなかったです。
仲間がいかに大切かということにも気付かせてもらいました。その仲間たちと、酒を飲んだり遊んだりしている時間がどれほど楽しいかということも知ることが出来ました。
仲間たちは、工場を辞めた後も時折連絡を取っていました。結婚したり、新たな工場に就職したり、全く違う分野にチャレンジしたり、またはアメリカへの永住権を取ろうとしていたり・・。
皆、あの工場を経験したことで、大幅にレベルアップしているようでした。仲間として、嬉しい限りですね。
工場に来てよかった。きつい時に辞めないで良かった。覚悟を決めて現実と向かい合って良かった。
工場は私にとって、最も成長させてもらった特別な場所なのです。だからこそ、10年以上経った今、こんなサイトを作ってしまったという訳です。
この体験は私たちだけの特別なものなのかも知れませんが、間違いなく【工場】という場所から生まれたものです。だからこそ、工場に入ろうかどうか迷っている方に、私は仕事内容どうこうは抜きにして「一度でいいから、入ってみても良いんじゃないか」と言いたい訳です。
そこから自分の道が拡がる可能性が大いにあるということは、「経験上」分かっていますので。
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