私が初めて工場に入ったのは、確か23歳の4月。かれこれ10年以上前に遡りますが、あの頃の記憶はかなり鮮明に覚えています。
大学を卒業したのは良いものの、訳あって就職せずにアルバイトをしていたのですが、それさえ辞めて実家でダラダラしている日々を過ごしていました。
親からの視線はもちろん厳しかったです。
が、私は小さい頃から、ある状況で異常に恐怖を感じるという、いわゆる恐怖症みたいなものがありました。セラピーにも通っていたのですが、なかなか良くなることはありませんでした。就職しなかったのも、それが理由。
そんな状況ですから
「このままでは何もかもが駄目だ・・」
と思うのは当然であり、日を追うごとにどんどん暗くなり、このままでは引きこもりになるのではないか・・というくらいまで精神的に追い詰められていったのです。
ですが、「このままでは終われない!」という気持ちも心のどこかに残っていました。追い詰められたネズミは、猫に対しても牙をむくというのは本当のようです。限りなく弱い状態にまで落ちていた私が、恐怖と向かい合ってみようと決心したのです!!
- 実家を出て、働こう
- 一から再スタートを切りたい!
- 最後にもう一度頑張ってみよう!!
決心すると、急にこのような心境になることができました。
これ幸いと、今の内に突き進もうと思い、地元の求人雑誌をコンビニに買いに行きました。
そこで発見したのが、「千葉県の工場でパソコンの組み立て。女性が多く軽作業。月収20万円前後。一人暮らし出来る綺麗な寮付き」という、再スタートには持って来いと言えるような求人があったのです。
そう、それこそが日総工産の工場派遣だったのです。千葉にある大手企業の工場という、工場仕事としては何の変哲もないものですが、私の人生の転換点となる場所がそこにはありました。
ここに何故か強烈すぎるほどの魅力を感じた私は、見た直後に早速日総工産に電話。翌日、オフィスに面接に来てくれという話をいただきました。
面接は無事通り、10日後くらいから千葉で働くということに決まりました。環境が変わることへの不安は多くありましたが、それよりも私にとって大きな何かがあるのでは・・という予感もあり、楽しみもかなり多くあったのを覚えています。
また、親からの冷たい視線がある手前、仕事が決まったというのは単純に嬉しい事でもありました。良かった・・これで文句を言われなくて済む(笑)
そんなこんなで、猶予を与えられた10日間は友人と遊んだり漫画を読んだりして、ゆっくり過ごしました。
この後、どんなことが待っているかも知らずに・・。
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⇒管理人の日総工産体験記
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